【妄想古代史】天孫降臨の謎 シリーズ9 天安河原は宮崎県にある。行くときれいに石も積んである。











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チャンネル登録よろしくお願いします。サイの尾・猿田彦ch【妄想古代史】天孫降臨の謎 シリーズ 9です。私が高天原とする蒜山の近くに天安河原はあるのではないかと思い、調べてみた。 • #天安河原#思兼神#八百万####### • ブログ「真実の古代史」: • https://ysaino11.blog.ss-blog.jp/ • Twitter: • https://twitter.com/home • 私が高校生の時、亡き父は「うちの姓は神武天皇の道案内をしていただいた名前だ」と言った。その時私の脳裏をかすめたのは、「神武天皇は宮崎県から奈良県に行ったのであり、なんの用があって鳥取県に来たのか、父は夢のような話を言っている」と思った。いくら考えても鳥取県と神武天皇は結び付かなかった。父は平成13年に亡くなったが平成22年頃から高天原は岡山県の蒜山高原であり、天孫は鳥取県北栄町の大宮神社に降臨した、という説を聞くようになった。天孫邇邇芸が宮崎県ではなく鳥取県中部に降臨したなら宮崎県にいたとされる神武天皇も鳥取県中部にいたのではないかと思い、調べることを始めました。 •  父は日本書紀を読むような学識のある人間ではなかった。私が日本書紀を読んで驚いたのは、私の姓は初めに道の字がついているが、神武天皇の道案内をしたのは道臣であり、子孫は大伴氏であったと書かれていることであった。大伴氏と言えば大伴家持は鳥取県にいた。大伴家持の子孫はそのまま鳥取県にいて今の私の姓に変えたのではないか、と思った。 •  鳥取県中部に四王寺山がある。「四王寺」は「四王子」と書けないか。神武天皇の兄弟は四王子だった。宮崎県に神武天皇の四兄弟がいたとされる四皇子峰がある。行ってみるとただの丘である。それに引きかえ鳥取県中部の四王寺山は守りの堅い山城の体をなしている。神武天皇はここで育ったのだろうという確信が生まれて調査を始めた。行き詰ったら調査をやめようと思いながら10年あまり調査を進めてきました。今では、紀元前60年(神武元年)から紀元734年まで鳥取県中部が列島の都であったと確信しています。 •  唐は倭国と日本は別の国であり連続していないと思っていた(旧唐書倭国日本伝)。日本は唐の信用を得たいため古くから朝貢をしてきた倭国と日本は連続しており、万世一系の皇統であると主張した。古事記・日本書紀は基本的に百済王朝の歴史書だが、万世一系の皇統とするために倭国大王の旧事や帝紀もその中に取り込んだ。しかし、倭国の始祖の天照大神が中国人の徐福であったことは隠さなければならなかった。中国の支配に服すと、やっと乗っ取った倭国を自分たちの思うままにできないからである。そのために、紀元前60年の神武元年を600年古くしたり、天照大神を女性であるとしたり、72代続いたウガヤフキアエズ朝があったとしたり、天照大神がいた高天原は雲の上にあったとした。 •  京都にいた藤原氏は200年かけて倭国の都のあった鳥取県中部の伝承や歴史を消していった。 •  徳川光圀は亡命百済王朝が倭国を乗っ取ったことを知っていた。しかし徳川光圀の著わした大日本史も藤原氏は明治39年まで250年かけて改ざんしていった。倭国を乗っ取った藤原氏は真実が明らかになりそうになれば何度も、殺人・放火・証拠物を壊したり、新たな伝承を創作して辻褄合わせをしてきている。

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