日産フェアレディZ31
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⭐曲⭐ • ぐれんげ • • 🍀 紅蓮華 TVアニメ「鬼滅の刃」オープニングテーマ曲 大阪桐蔭高校吹奏楽部 • • 3代目 Z31型系(1983年 - 1989年)編集 • 日産・フェアレディZ(3代目) • Z31型 • 販売期間1983年9月 - 1989年乗車定員2人/4人ボディタイプ3ドアファストバック(2座) • 3ドアファストバック(2座Tバールーフ) • 3ドアファストバック(2座ワイドボディ) • 3ドアファストバック(2座ワイドボディ) • 3ドアファストバック(4座) • 3ドアファストバック(4座Tバールーフ)エンジン3.0L V6 VG30ET型 • 2.0L V6 VG20ET型 • 2.0L 直6 RB20DET型 • 3.0L V6 VG30DE型エンジン位置フロントミッドシップ駆動方式後輪駆動最高出力230PS(VG30ET型:1983年)※グロス • 170PS(VG20ET型)※グロス • 180PS(RB20DET型:1985年)※ネット • 195PS(VG30ET型:1986年)※ネット • 190PS(VG30DE型)※ネット変速機4速AT/5速MTサスペンション前:マクファーソンストラット • 後:セミトレーリングアーム全長4,535mm全幅1,725mm全高1,310mmホイールベース2,520mm車両重量1,365kgブレーキ4輪ディスクデータモデル300ZX 2by2(前期型)-自動車のスペック表-テンプレートを表示1983年(昭和58年)9月16日 発表ロングノーズ・ショートデッキというZの伝統的なコンセプトを引き継ぎながら、空力性能を重視して、エクステリアをシェイプアップした3代目が登場。5年ぶり2度目となるフルモデルチェンジ[4]。キャッチコピーは『較べることの無意味さを教えてあげよう』、『ワルツ・ナイト』、『セラミック・レスポンス』、『SOUL SYNCHRO MACHINE』など。開発当初からヨーロッパ製の名門スポーツカーを凌ぐ、ハイパフォーマンスの追求を目標に掲げていた。プラザ合意に基づく急激な円高によって、海外輸出車の価格上昇は避けられず、廉価な日常用スポーツカーからハイパフォーマンス・スポーツカーへの宗旨替えは、北米を主要な市場とする本車種にとって時宜を得たものであった。前期型のエクステリアデザインは社内によるもので、高木一正を中心としたチームによってまとめられた。エンジンは直列6気筒のL型から新世代V型6気筒エンジンであるSOHCターボ2.0LのVG20ETと3.0LのVG30ET (輸出仕様にはNAのVG30Eがある)全グレードにV6ターボエンジンを搭載した[4]。後に再度直列6気筒モデルが設定されるも、ターボ搭載は守られた。ライバル関係にあるトヨタ・スープラが廉価版に2.0L NAエンジンを採用したのとは、正に好対照であった[注釈 1]。中でもVG30ETは当時としては大パワーを誇り、スープラに搭載される7M-GTEUが出るまではトップクラスの出力を誇り、空力に優れた欧州向けモデルでは、最高速度が250km/hに届いた。また当時の北米では直6エンジンは廉価な自動車のエンジンという印象が強かったため、ハイパフォーマンス・スポーツカーへの宗旨替えのためには、V6エンジンの採用は必須であった。ターボチャージャーは2.0 L/3.0Lともにギャレットエアリサーチ製のT03型を使用。販売当初のラインナップは、日本向けは2.0L「VG20ET」搭載のZ/ZS/ZG、3.0L「VG30ET」搭載の300ZX。300ZXの5速MTはボルグ・ワーナー製のT5型トランスミッションが搭載された。サスペンションは全車に減衰力3段階切り替え式の3ウェイアジャスタブルショックアブソーバーを採用し、ソフト/ミディアム/ハードの3段階切り替えが可能だった。外観では、通常の軸回転式リトラクタブル・ヘッドランプとは異なり、ランプが上下に平行移動する構造で、消灯時にもレンズの一部が露出するパラレルライズアップヘッドランプを採用した。ボディの一部を削ったかのようにしてのヘッドランプを装備という、従来のデザインを踏襲するためであるが、別体のパッシングランプを省略するためという実用上の意味合いもあった。ただ当時の米国ではヘッドランプに連邦自動車安全基準に準じない異形レンズの使用を認めておらず、北米輸出仕様では連邦自動車安全基準規格の角型ヘッドランプにドライビングランプを組み合わせた状態で対応した。1986年に行なわれたエクステリアの大幅なマイナーチェンジの際は異形レンズの使用が認可されるようになり、日本仕様と同様の状態で輸出された。輸出では永らくダットサン240~280Z/ZX(130後期まではダットサンプロダクテッド・バイ・日産のサブタイトルがあった)から全世界へ正式に「日産300ZX」となった。1984年2月先代にあったTバールーフ仕様を追加設定。1985年10月(新グレードモデル追加)フェアレディZでは初代S30型のZ432のS20エンジン以来の久々の直列6気筒DOHCエンジンに、世界初となるセラミックターボを採用したRB20DETが搭載された「200ZRシリーズ」が追加設定された。エンジン本体は先にR31型系 スカイラインに搭載されていたものだが、ターボチャージャーを変更し世界初となるセラミックターボを採用。タービン内のインペラーを通常のメタル製より軽量なセラミック製にする事で慣性質量を低減し高レスポンス化とターボラグの軽減を目指し、日産は「セラミック・レスポンス」というキャッチコピーでアピールした。また、ターボにより圧縮高温化した給気を冷却する為のインタークーラーがエンジン上部に設置された為、ボンネットにはエアスクープが設けられ外観上の特徴となっている。また専用のスポーツシート、アルミホイール、サスペンション強化、LSDが奢られていた。 ノーマルルーフの「200ZR-I」とTバールーフの「200ZR-II」のそれぞれに2シーターと2by2が設定され、トランスミッションは200ZR-Iは5MT [FS5W71C型]のみ、200ZR-IIは5MTとATが設定された。1986年10月(ビックマイナーチェンジ)日産の北米でのデザイン拠点である日産デザインインターナショナルが提案したエクステリアデザインを採用し、3Lモデルはキャビン部(含むリアゲート)と左右ドア以外のパネルを全て意匠変更するという大幅なマイナーチェンジを施される。北米輸出仕様と同様のワイドフレアーフェンダーの3ナンバー専用ボディを与えられた。2.0Lモデルについては前後のスキンチェンジのみでフロントとリアフェンダーは変わっていない。2.0Lモデルは、V型6気筒SOHCターボのVG20ETが廃止され、直列6気筒DOHCターボのRB20DETを搭載した「200ZRシリーズ」のみとなった。3.0Lモデルは、V型6気筒SOHCターボのVG30ETを搭載した「300ZX」が前期型から継続され、トランスミッションの設定が国内仕様ではAT車のみとなった。また、新グレードのフラッグシップモデルとして「300ZR」が追加され、エンジンには同年2月にレパードに初搭載されデビューを飾った3.0L V型6気筒のツインカムヘッド(DOHC)化されたVG30DEが搭載され、マニュアルトランスミッションには新開発された5速MT [FS5R30A型] が搭載された。2シーターと2by2、5MTとATがそれぞれ設定されている。この「300ZR」は締め上げられた足回りとZ31型系で唯一の自然吸気エンジンなどから、古典的でスパルタンな味わいを持つマニアックなモデルとなった。しかし1988年にはVG30DEにターボチャージャーを装着したVG30DET(255PS)を搭載する日産・シーマが登場し大ヒットし、エンジンパフォーマンスの面でその後塵を拝することとなった。1987年11月 • AT車にシフトロックを追加。 • 1988年6月3.0L車に50%偏平率タイヤとビスカスLSDがオプションで追加設定された。1989年6月[5]生産終了。在庫対応分のみの販売となる。1989年7月4代目とバトンタッチして販売終了。
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